Sri Lanka

政治・社会

国土面積は約6万5,607平方キロメートル(北海道の約0.8倍)人口は、約2,096万人。正式名称はスリランカ民主社会主義共和国(Democratic Socialist Republic of Sri Lanka)で首都はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ。名目GDPは823億米ドル、、一人あたりGDPは約3,924米ドルである。1日2ドル未満で暮らす人々は2011年時点でいまだ566万人が該当すると推定されており、国民のおよそ1/4に相当する。1948年2月4日、イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立。1972年にはスリランカ共和国に改称し、英連邦内の共和国となり、1978年から現在の国名となった。

 

民族・宗教

民族構成は、シンハラ人(72.9%),タミル人(18.0%),スリランカ・ムーア人(8.0%)など。公用語はシンハラ語,タミル語,連結語は英語。宗教は、仏教が約70.0%,ヒンドゥが約10.0%,イスラムが約8.5%,カトリックが約11.3%となっている。
スリランカでは,1983年以降25年以上にわたり,スリランカ北・東部を中心に居住する少数派タミル人の反政府武装勢力である「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」が,北・東部の分離独立を目指して活動し,政府側との間で内戦状態であったが,2009年5月に政府軍がLTTEを制圧し内戦が終結した。

 

年表

※生殖補助医療 関連年表

1999.11 初めての体外受精児が誕生
2003 NASTECによるレポートが公表される
2006 法案:Human Reproduction and Genetics Act (HURGA)

 

体外受精

1999年11月に初めての体外受精時がコロンボの体外受精クリニックでDr. V Arulandarajahによって行われた。ドクターは、英国でトレーニングを受けたタミル系の医師で、外国人技術者の助けを得ておこなわれた。出産は帝王切開で行われた。地元メディアでも大々的に報道された。
さらに、2002年7月、Prof. Harshalal Semeviratneによって体外受精が実施され、Janakiが誕生した。ローカルの人材だけで実施され、海外からの技術援助なしに行われた点がナショナリズムを煽った。

 

法律

The National Bioethics Council (NBC)とSri Lanka Medical Councilにより、2006年に法案(Human Reproduction and Genetics Act )が公表された。

 

代理出産

NASTECによるレポートには、代理出産についても言及され、不妊の解決方法として認められている。依頼者は子どもを養子にすることによって親親になることができるとされていることから、産んだという事実に優先権が与えられているといえる。代理出産は非営利で行われるべきこと、また宣伝広告してはならないとされている。

 

精子・卵子提供

 

渡航治療

自分たちの故郷で親族のサポートもあり、安い費用で治療できることから、在外スリランカ人が母国での治療を選択している。

 

Link

NASTEC (2003) New genetics and assisted reproductive technologies in Sri Lanka: A draft national policy on biomedical ethics.

Assisted Reproductive Technologies Guidelines Committee. (2005) A Provosional Code of Practice for Assisted REproductive Technologies. Colombo: Sri Lanka Medcical Council.

National Science and Technology Commission (NASTEC) Link

Sri Lanka Medical Council (SLMC)  Link

 

文献

Bob Simpson 2016 IVF in Sri Lanka: A concise history of regulatory impasse. Reprodutctive Biomedicine & Society Online 2:8-15.  Link