HOME > イベント > 公開講演会(東京:2011年1月22日)

    質疑応答



    司会:それでは、何か質問をいくつかはお受けできますが、いかがでしょうか。

    質問者1:粟屋先生が、インスタンブール宣言を、国際移植学会が国際的に禁止するのはナンセンスというお話も少し出ました。国際的な協定で、いろいろな人、臓器、物、精子や卵子もそうですが、移動を何とか制限しようとする動きもなくはないし、そういう枠組みを作ろうというかたちも、現実的にはあるかと思います。全面禁止ではなくて制限をかけるという意味ではいろいろなことがあると思います。

    ルールが作られたとしても、ルールを破って物を移動させようとする人たちは存在すると思うのですが、そのような視点で見た場合、養子縁組は、ルールがあれば比較的やらなくなるのか。生殖技術に関してはルールをくぐってでも、という人も中にはいます。そういう意味から、移植というものはルールがあっても、かなり破ってでも突破します。

    今日、お話しいただいた3つのテーマによって、そのルールを突破しようとするその動機付けというか、その道理の違いというものを、もし伺えればと思います。漠然とした質問ですみません。

    答え:確認です。移動を制限や禁止するというのは、例えば、移植の場合でも生殖医療の場合でも、人間が移動をして向こうで受ければ、それは、臓器や卵子や精子は移動させないことになるので、向こうで妊娠してしまえば可能だと思います。それも含めて、要するに海外へ行って臓器移植を受ける、もしくは卵子提供なり精子提供を受けることも禁止するというご趣旨でしょうか?

    質問者1:生殖医療の場合は、そういう意味では難しいですが。

    答え:生殖医療の場合ですと、卵子や精子は輸出できないと言われても、人間が行くことは、日本の場合は少し遠くなりますが可能だと思います。

    答え:答えにくいのですが、先ほどドイツのことで少し質問をされたとき、どうしようかと思ってだまっていました。国際養子縁組が人身売買にならないようにトランスナショナルな移動を制限することが、問題解決には必ずしもならないと思います。つまり、移動を制限すれば、例えば、チリやコロンビアからの子どもが、スウェーデンへ国際養子としてもらわれるけれども、外見が違う、アイデンティティーに悩むという問題もあるし、親がまったく分かっていない場合、子どもの福祉や利益を考えれば、外国への移動を制限し、外見が同じなど、近い人の周りで暮らすほうが子どものためになるだろうという意見もあります。それはそれで、言ってみれば拠出国側のナショナリズム、つまり国の資源を保護しようということになってしまうわけです。

    国際養子を推進しようとすれば、それはスウェーデン側の利益につながるだろうし、とどめようと思えば拠出側の利益を増長させるだけです。子どものため、「welfare of the children」や「rights of the children」などと言っておきながら、肝心なその問題が置き去りにされていることがあります。だから、移動を制限すれば良いというものでもないだろうと思います。養子縁組に限って言いますが、結局は、貧しくて、しかも婚姻外で子どもを産んで育てられない環境自体をなくすことを考えていかなければいけないのに、その問題自体が実は忘れられていることのほうが問題ではないでしょうか。

    答え:身体部品について言えば、組織レベルでは合法的に入ってきています。冷凍保存した心臓の弁、血管、骨など、それは当然です。臓器レベルでも研究用は入ってきています。今はやっていないと思いますが、移植用で死体腎が入ってきていますが、鮮度が落ちるので問題があります。それらは制限もルールもなく、何ら違法ではないわけです。何か一つルールを作るとすれば規制をします。例えば、エイズウィルスに汚染された組織を埋め込まれた人などがアメリカで問題になっています。そういうところは禁止ではなく規制します。

    先ほどのご質問は、なぜ臓器の場合は禁止しても行くのか。それは命にかかわる、養子をもらわなくても命にはかかわらないという、重量との違いではないでしょうか。

    司会:ほかに何かご質問はありますか。

    質問者2:どの先生でも、できれば粟屋先生にお聞きしたいのですが。2003年ぐらいに『ワイヤード』というアメリカの雑誌で、人体のそれぞれのパーツの値段をつけると合計でいくらになるかの記事を企画したことがあります。その取材が正しいかどうかは、僕は分からなかったのですが、そういう面白いことが書いてありました。もし、人体を売ってお金をもうけたい人だったら、急いだほうがいいと言っていました。それはなぜかというと、もうすぐ幹細胞が開発されて、幹細胞がいろいろと人体をつくれるようになったら、人体を売ることもできなくなるということを、非常に皮肉っぽく書いてありました。その後にiPS細胞の報告などがありました。

    実際にできるのは多分40年や50年先の話であるとは思いますが、一応その将来的な道筋としては、体を構成する200種類以上の細胞のいずれかに必要なだけ再生して、それを技師エンジニアリングの技術と組み合わせて立体化していくことも、道筋だけはおそらくできているような気がします。

    そうなると、理論的には人体の資源化や商品化の現象は、将来的には終焉するのではないかと、私は少し思っていたりもします。そのあたりで、今おっしゃられたさまざまな問題点は、人体の資源化や商品化の終焉と同時に問題も終わるのかということを、もしよければお伺いしたのです。

    答え:まさにおっしゃるとおりだと思います。今の移植医療はつなぎの医療だと言われています。夢の医療と言われた遺伝子治療はほとんどぽしゃりました。これもどうなるか分からない。しかし、100年、200年のレベルで見ると、何かやってくれているだろうと思います。そうすると、これまで死んだ人も生きている人もそうですが、死体の商品化などはしなくても済む可能性はあるでしょう。

    そうすると、その問題は収束するけれども、今度は別のこと、SF的な研究、人間改造などがものすごく進んで、取り換え引き換えでSFが出てきます。腎臓も心臓も、何もかも取り換え引き換えした、俳優の名前は忘れましたが映画にもなりました。最近、「目は何とか社製」など、あらゆる部品が、それはハイリブッドでも生体以外の何でも良いわけで、そういう問題がやはり残るでしょう。「人間とは何か」と使えば行き着く、「人間」のその問い自体をもう問われなくてもいい時代はいずれ来るでしょう。動物、機械、ロボットなど、共存共栄の輪に誰が入るのかという問題、法的、社会的に保護されるのは誰なのか、そこに行き着く問題に、最終的にはそうなると思います。さらにSFのようです。

    答え:2点あります。一つは、生体腎臓移植や肝臓移植について、臓器移植の中では日本は世界でもかなり(生体からの移植の)率が高いです。世界的に、特にアメリカに行って経験したのは、生きている人から腎臓や肝臓を移植することはとんでもなく、虐待に近いのではないか、家族の中での力関係が影響していると、すごく非難されたことです。

    それを実際にUCバークレーの医療人類学者のナンシー・シェパー・ヒューズが、「Organs Watch」という研究活動をしていて、先ほど粟屋さんが幼児の人身売買で臓器を取られたというのは都市伝説ではないかと言われましたが、彼女はそれに近いようなこと(幼児の人身売買にからむ生体での臓器提供)について報告しています。たとえば、アフリカの人が、ブラジルに子どものころに連れてこられて臓器提供として腎臓を取られたという人へのインタビュー時の写真を出しています。彼女は臓器移植に関する社会的な活動をしている医療人類学者です。彼女のある論文で日本の生体臓器移植についても短く批判的に触れられていました。ただし、生体臓器移植を告発する論文の中で、粥川さんが今おっしゃったような、「再生医療が進めば、こういうことはなくなるかもしれない」とも書いています。

    再生医療のための卵子を不正に集めたとして韓国で問題になったファン・ウソク元ソウル大学教授の例について、私はグループで調査してきましたので、再生医療が進めば臓器移植についての問題が解決できるといった彼女の期待については、「あまりに安易だ」と思いました。つまり、一つのことは解決されるかもしれないけれども、必ず次のことが出てくる気がしています。

    答え:子どもの場合についてはどうお答えしていいのか分からないのですが、例えば、iPS細胞などのすごい技術を使って、ある男性の体に成熟した精子ができるようにする、生きのいい卵子を不妊の女性の体に再生できるようになるかどうかは、もうSFではなくなるかもしれません。

    ただ、そうなればなるだけ、遺伝的なつながりへの思いというものがますます強くなってくるでしょう。しかし、それが良いことなのかどうかは、また別問題です。現実に、例えば、スウェーデンでは離婚率が高く、再婚したときに、奥さんの連れ子も、自分の子どもと一緒に育てるようにして、核家族ではなくて鎖の輪をつなぐようなかたちで、今は親子関係ができています。ある人にとっては、自分の実の子どもも、奥さんの連れ子も同じ子どもとしてみるような、一つの家族関係の在り方として定着しつつあるとき、遺伝子優先のようなことにもなっていくのが良いのでしょうか。そうすると、今度は「本当の親だろう」という思いが、自分で産んだ子どもは自分で育てなくてはならないのになかなか育てられない、それがひいては虐待につながるという問題も出てくると思います。

    柘植先生とは若干趣旨は違いますが、絶えずいろいろなことが諸刃の刃で、決着しないまま形を変えてずっと続いていくだろうという気がします。

    答え:先ほど、質問者2さんの人体の意味論ですが、iPS細胞が出てきたとしても、ES細胞で臓器がつくれたとしても、人体には4つの段階がある物的人体論ですが、物から部品になり、資源になり、商品になる。資源までは、例え自分のiPS細胞であっても、やはり言えるでしょう。ハイブリッドな機械では収まらない、利用できるものはするというかたちでとどまらない、商品になるかどうかはその次の段階で、資源化、商品化で距離はほとんどありません。そういう意味では、iPS細胞テクノロジー自体も商品になっているわけですから、物自体も商品になるし、収まるかもしれないけれども、そこそこあるかもしれない。

    さらに言えば、先ほど柘植さんがおっしゃったことですが、「テクノロジーは倫理問題の製造機械である」という言葉を、私も作りました。以上です。

    答え:先ほど言おうとしていた2つ目を簡単に言います。実は、質問者2さんも参加されていた研究会での話です。iPSで精子や卵子ができるようになるのではないか、そこで買いに行く、売りに行くではなく、研究室でつくれればいいのではないか、そうすれば卵子や精子の提供者を搾取することはなくなるのではないか、という話です。生殖細胞がiPS細胞から本当にできるかどうかはわかりません。

    それをどう考えるかという、先ほどの粟屋さんの言葉を借りれば、新しく再生医療によって解決されると思われることが一方ではあり、本当に解決されるかどうか分かりませんけれども、だけどまた新しいものが出てきて、結局、今の社会の世界の中のいろいろな差別や偏りというものが、新しい技術ができてくるときに常に反映していきます。新しい技術はどのように、どのような方向性でできてくるかというと、結局そのバイヤスを反映したままできてくるので、新しい技術にあまり夢を持てないのではないかというのが私の意見です。